ヒューマンを観察したら
高速道路を使って物流が変わっていく、ラジアルタイヤを開発しないといけない、そういう時期に開発ができなかった、あるいは遅れたアメリカのタイヤメーカーは衰退した。
そんなふうに言えると思います。
こんなふうに技術の変わり目におくれを取ると致命的になる、そんな感じがいたします。
いろいろ考えるところがあっても出願しておくと云うものもあります。
基本特許もありますけれども、改良特許なんかについてもどんどん出願していく。
したがって出願している内容を調査すると、その分野での技術の方向が見えてきます。
当時技術の動向を早く知りたいと、毎月送られて来る情報を調べました。
特許というのはなかなか読みづらいものです。
一体なにを書いてるのか、というような感じですけれども、外国語で送られてくるものを読んで、どういう内容かをその抄訳から調べていくわけです。
そこで技術とか商品の動向が分かります。
我々が開発していることに対する制約も分かります。
自分のところの特許の有効性というものにつながってきます。
これが非常に勉強にもなり役に立ったと思います。
それから試作設備を作り、試作評価を繰り返しますけれども、最初タイヤを作ったらそんなにいいタイヤはできません。
もうどんどんトラックやバスに着けて走ってくださいというようなものは、なかなかできない。
まず実験室で台上のテストをします。
繰り返し繰り開発チームは当初何をしたのかちょっと前置きが長くなりましたけれども、開発を始めようというので、一九六四年にスタートいたしました。
開発チームは何をしたのかということ、開発期間を通じての異文化の注目点を紹介いたします。
では開発チームは何をしたのか、ということなんですが、まず調査をするということ。
試作設備を造るということ。
試作評価を繰り返してやるということ。
それから街を走れるタイヤになったときに公道での性能レベルを見極めるということ。
一次生産設備を設置して、あるいは製造条件・管理項目などを整備して生産に入る。
一九六六年に少量生産を開始しました。
この中で特に注目したのが「工業所有権の調査」というところです。
工業所有権というのは、特許です。
当時日本では審査してから公報にしていましたが、欧米では出願したものを公開する制度で日本より数年早く目にすることができました。
日本もアメリカもョ-ロッパでそうなんですが、特許というのは先願主義です。
先に出願したものが既成の事実になるわけです。
したがってすぐに特許にしたいというもの、あるいは返しテストをして、その一つのものを丹念に調べる。
イニシエーションは何かというのを丹念に調べるというようなことをやりました。
品質評価する場合に、多くの資料がある場合には統計的に処理して優劣を判断します。
そんなに資料がない場合には、実験する前にどういう要因が影響するかということを考えて実験計画法にもとづいて評価するというのがあります。
もうひとつは一つのものを丹念に調べるというやりかたです。
開発当初はこの進め方が役に立ったと思います。
そんなことで六十六年に少量生産を開始した。
不充分な内容もありましたが、今思えばよくやったなと感じます。
若い人達が一生懸命やった結果としてできたんだなと、そんな感じがいたします。
てきます。
しかし本当に特許になるのはその内のわずかです。
その特許がかなり広い範囲で保護されることは、現在では日本もアメリカもヨーロッパも同じようなことになってきました。
当時アメリカの弁理士に相談に行ったことがあります。
特許というのは特許の内容を説明する部分と、どんな部分を特許にするかの項目を箇条書きにした部分とがあります。
「特許にするその箇条書きになった部分を全部外してますけど、どうですか?」と言うと「技術者はみなそう言うけれどもそれは駄目」と言われました。
特許に対する基本的な考え方、それを保護されるというわけです。
したがって、特許の要件を全部外してもそれはだめですよ、抵触しますよ、ということになる場合もあります。
権利を尊重し広く保護するという考え方です。
それから一つの物を丹念に調べるということ。
これは因果関係を徹底的に突き詰めるということですが、これについては日本人が特に徹底してやっていたことだと思います。
細かく突き詰めるということ。
アメリカ人あるいはヨーロッパの人たちも、現象と原因をつ開発期間を通じての異文化体験この開発段階を通じて、異文化というようなものをどう感じたのかということを、挙げておきます。
ひとつは知的財産の保護ということです。
欧米における知的財産の保護の広さ、ということです。
先ほども先願主義を言いましたけれども、特許はどんどん出るということです。
技術者としてはこのスピードを競ってやっています。
こんな感じは世界中どこでも同じです。
普及を早めるきっかけを作る。
ラジアルタイヤもなかなか最初は普及しにくかったんです。
従来のタイヤよりも重い、二十%ぐらい重いという状況で扱いにくいと言われました。
そんな中で我々は特許をとり、軽いタイヤを作った。
これは普及を早めるきっかけを作ったように感じます。
それから挑戦する力、自前の開発力。
これはアメリカの開発が遅れたという話をしましたけれども、自分たちで開発していく、そのためには基本を理解し、先を読んで挑戦をするんだということをどう判断しどれだけ力を注げるかという、ここがやっぱりスタートの一番大切なところだと思います。
ここにも歴史や、育ちの違いがあって、あるいは開発組織によっていろいろ違いが出ております。
歴史とか育ちとか、そういう違いがこんなところにも現われて来る、そんな感じがいたしました。
開発のところはこれぐらいにさせていただきます。
ないでいくということはします。
現象と原因のつなぎを、今までの知見や報告から論理的につないでいこうという方向です。
日本人は開発技術者が徹底してものを見ようという方向です。
この辺は少し違いがあるなあと、そんな感じがしています。
それから品質保証体制。
開発を始めた当初と較べると、この分野は随分進んでいます。
これはヨーロッパもアメリカも、みな同じですが日本がよりきめ細やかだなと感じます。
皆さん方が町で見かけられる、あるいは広告なんかにも見られるような、ISOの九○○も、これは国際的な管理の組織活動です。
国際的にみな同じ方向を向いているんですが、きめ細かさの違いというのがこんな中にもあると思います。
顧客満足度。
これは顧客の経営者と使用現場、両方で満足してもらわないといけません。
経済的には経営者が重視しますし使いやすさ・安全という意味では使用現場で満足してもらわないといけないということです。
ただお客さんからはいろんなことを言われる中で、改良のスピードが満足にもつながるし不満にもつなが思わぬ用途の拡大世界中へものを出していくと、開発の段階で思っていたのと違う使われ方をされることがあります。
長距離輸送に使ってもらいたい、いうことですが、そうでない使い方をされて、たいへん苦労した、あるいは世界中を飛び回ったなあと、そんな思いがあります。
次に「トラック・バス用ラジアルタイヤの世界各地への輸出」というところなんですが、一九六四年に開発をスタートしました。
六十四年から少量生産をスタートし、六十九年から輸出を始めております。
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